『源氏物語』

 宣長は『源氏物語』を評して、 「やまと、もろこし、いにしへ、今、ゆくさきにも、たぐふべきふみはあらじとぞおぼゆる」(『源氏物語玉の小櫛』) この物語以上の本はどこにもないし、これからも出てはこない、と言う。

 宣長がこの「物語」を初めて読んだのは、『源氏物語覚書』を書いた20歳から21歳頃であろうか。そこに至る過程として、10代半ばからの「京都」への関心。また「和歌」への関心がある。江戸時代までは、『源氏物語』は何よりも「和歌」の基本書であり、その「和歌の伝統」また、『源氏物語』の舞台となった宮廷文化がそのまま残るのが「京都」の町であった。

 また和歌を生み出す基となった「もののあわれ」によって、『源氏物語』の世界も成立すること、もののあわれを知る人こそが、「よき人」であると宣長は説く。

「此物語の外に歌道なく、歌道の外に此物語なし」(『紫文要領』)
「孔子もし是を見給はば、三百篇ノ詩をさしをきて、必此物語を、六経につらね給ふべし。孔子の心をしれらん儒者は、必まろが言を過称とはえいはじ」(同書)
「よの中の、物のあはれのかぎりは、此物語に、のこることなし」(『源氏物語玉の小櫛』)
「その心のうごくが、すなはち、物の哀をしるといふ物なり、されば此物語、物の哀をしるより外なし」(同書)


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(C) 本居宣長記念館


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