midashi_g.gif 吹上御殿

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 歴代の和歌山藩主は、隠居をした後は、城外に屋敷を設けて清遊し、楽しんだ。
 和歌山滞在中、宣長は吹上御殿で3日間講釈をしたが、ここは藩主治宝の祖母清信院の屋敷。宣長『寛政六年若山行日記』に当日の記録が載る。御殿そのものは残らない。

 ○閏11月12日、4ツ時(午前10時頃)より吹上御殿に行き清信院に『源氏物語』若紫巻講釈。20枚余読む。四切り。夜、『古今集』俳諧部講釈。藩主妹備(ノブ)姫、御医師、御役人も同席聴聞する。食事は二汁七菜。お菓子は二回出て、干菓子と餅菓子を戴く。また短冊箱、銀子3枚、折(干菓子、御茶)を拝領する。老女の気遣いで、今日は寒いからと綿子1枚を戴く。同道した大平にも食事、菓子と金300疋を拝領する。
 清信院は、実は賀茂真淵の門人。宣長が清信院に講釈した吹上御殿も、他の御殿同様、今は影も形もない。
 紀州藩の御殿で唯一残っているのが養翠園。治宝が作り、邸内には表千家9代家元了々斎の二畳台目の茶室実際庵が遺されている。

 好学の藩主治宝は、藩士の子弟の教育を義務化し、医学館、江戸明教館、松坂学問所を開設しました。町も立派になりました。また、宣長を召し抱え、表千家や楽家を庇護し、仁井田好古や大平を登用し史書を編纂させた。『古事記伝』題字や、表千家の総門はいずれも治宝から拝領品。和歌の浦に不老橋を造ったのもこの藩主である。


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