「(本居信仰(モトヲリシンカウ)にて、いにしへぶりの物まなびなどすると見えて、物しづかに人がらよき婦人二人。おのおの玉だれの奥ふかく侍(ハベ)るだらけの文章(モンザウ)をやりたがり、几帳(キチヤウ)のかげに檜扇(ヒアフギ)でもかざしてゐさうな気位(キグラヰ)なり) |
けり子「鴨子(カモコ)さん。此間は何を御覧(ゴロウ)じます |
かも子「ハイ、うつぼを読返へさうと存じてをる所へ、活字本(ウヱジボン)を求めましたから、幸ひに異同を訂(タダ)してをります。さりながら旧冬は何角(ナニカト)用事にさへられまして、俊蔭(トシカゲ)の巻を半過(ナカハ
゛スギ)るほどで捨置(ステオキ)ました |
けり子「それはよい物がお手に入(イリ)ましたネ |
かも子「鳧子(ケリコ)さん。あなたはやはり源氏でござりますか |
けり子「さやうでござります。加茂翁の新釈(シヤク)で本居大人(モトヲリウシ)の玉の小櫛(ヲグシ)を本(モト)にいたして、書入(カキイレ)をいたしかけましたが、俗(サトビ)た事にさへられまして筆を採(ト)る間(イトマ)がござりませぬ |
かも子「先達(センダツ)てお噂(ウハサ)申た庚子道(カウシミチ)の記は御覧(ゴロウ)じましたか |
けり子「ハイ見ました。中々手際(テギハ)な事でござります。しかし疑(ウタガハ)しい事は、あの頃にはまだひらけぬ古言(コゲン)などが今の如(ゴト)ひらけて、つかひざまに誤(アヤマリ)のない所を見ましては、校合(キヤウガフ)者の添削なども少しは有(アツ)たかと存ぜられますよ |
かも子「何にいたせ、女子(ヲナゴ)であの位(クラヰ)な文者(ブンシャ)は珍らしうござります。先日も外(ホカ)で消息文(セウソコブミ)を見ましたが、いにしへぶりのかきざまは、手に入(イツ)た物でござります |
けり子「さやうでござります。何ぞ著述があつたでござりませうネ。世に残らぬは惜(ヲシ)いことでござります。ホンニ怜野集(レイヤシフ)をお返し申すであつた。永(ナガ)々御恩借いたしました。有(アリ)がたうござります |
かも子「いへもう、おゆるりと御覧なさりませ。わたしはうけらが花を一冊かし失ひましたが、トント行方(ユクヘ)がしれませぬ |
けり子「イヱ、どうもかし失ふでこまりますよ。此間はお哥(ウタ)はいかゞでござります |
かも子「何か埒明(ラチアキ)ませぬ。先日(センジツ)どなたにか承(ウケタマハ)りましたが、あなたはひなぶりをもお詠(ヨミ)なさるさうでござりますネ |
けり子「ハイサもう、お恥(ハヅ)かしい事でござります。あまり本哥(ホンカ)で対屈(タイクツ)いたす時は、なぐさみがてら俳諧哥(ハイカイウタ)をいたしますが、何もうお恥(ハヅ)かしい。お耳に入(イツ)てはおそれ入(イリ)ます |
かも子「イヱサ、万葉(マンエフ)の中にも、大寺(オホデラ)の餓鬼(ガキ)のしりへにぬかづきの哥(ウタ)、ヱヽ夫から夏痩(ナツヤセ)によしといふものむなぎとりめせのたぐひ、その外あまた見えますし、殊(コト)には続万葉に俳諧体(ハイカイテイ)と申す体(テイ)がわかりましたから、無心体(テイ)の哥(ウタ)もおなぐさみには宜(ヨロシ)うござります |
けり子「イヱモウ、松のおもはん事もはづかしでござります。此間ネ、あまりいやしい題でござりますが、おかちんをあべ川にいたして、去る所でいたゞきましたから、とりあへず一首致(イタシ)ました
うまじものあべ川もちはあさもよし きな粉まぶして昼食ふもよし
といたしました。ヲホヽヽヽ |
かも子「ヲホヽヽヽヽ、冠辞(クワンジ)がふたつ立入て、至極面白ううけ給はります。まぶしてなどが、どうか古言のやうにきこえまして、ヲホヽヽヽヽ |
けり子「イヱモウ、ほんのなぐさみでござります。先生などのお耳に入(イツ)たらお叱(シカ)り遊(アソ)ばすでござりませうよ |
かも子「何おまへさん。いづれ雅(ミヤビ)の道でござりますものを。「ヲホヽヽヽ。うまじものあべ川とかゝり、あさもよし、きとうけて、昼くふうもよし。どうもいへません。ヲホヽヽヽ。あなた、お這入(ハ
イリ)なさりますか |
けり子「ハイ、まづおさきへ(トざくろ口へはいる) |