midashi_b ある午後の女湯

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 ここは、江戸のあるお風呂屋さん。午後2時くらい。女湯で物静かで人柄のよさそうな二人の女性が楽しそうに話をしています。 どうやら二人は、本居さんの愛読者らしい。「侍る」がたくさん出てくる平安時代の物語が好きで、自分たちも宮仕えする女房気分。ちょっと盗み聞きしてみましょう。

「(本居信仰(モトヲリシンカウ)にて、いにしへぶりの物まなびなどすると見えて、物しづかに人がらよき婦人二人。おのおの玉だれの奥ふかく侍(ハベ)るだらけの文章(モンザウ)をやりたがり、几帳(キチヤウ)のかげに檜扇(ヒアフギ)でもかざしてゐさうな気位(キグラヰ)なり)
けり子「鴨子(カモコ)さん。此間は何を御覧(ゴロウ)じます
かも子「ハイ、うつぼを読返へさうと存じてをる所へ、活字本(ウヱジボン)を求めましたから、幸ひに異同を訂(タダ)してをります。さりながら旧冬は何角(ナニカト)用事にさへられまして、俊蔭(トシカゲ)の巻を半過(ナカハ ゛スギ)るほどで捨置(ステオキ)ました
けり子「それはよい物がお手に入(イリ)ましたネ
かも子「鳧子(ケリコ)さん。あなたはやはり源氏でござりますか
けり子「さやうでござります。加茂翁の新釈(シヤク)で本居大人(モトヲリウシ)の玉の小櫛(ヲグシ)を本(モト)にいたして、書入(カキイレ)をいたしかけましたが、俗(サトビ)た事にさへられまして筆を採(ト)る間(イトマ)がござりませぬ
かも子「先達(センダツ)てお噂(ウハサ)申た庚子道(カウシミチ)の記は御覧(ゴロウ)じましたか
けり子「ハイ見ました。中々手際(テギハ)な事でござります。しかし疑(ウタガハ)しい事は、あの頃にはまだひらけぬ古言(コゲン)などが今の如(ゴト)ひらけて、つかひざまに誤(アヤマリ)のない所を見ましては、校合(キヤウガフ)者の添削なども少しは有(アツ)たかと存ぜられますよ
かも子「何にいたせ、女子(ヲナゴ)であの位(クラヰ)な文者(ブンシャ)は珍らしうござります。先日も外(ホカ)で消息文(セウソコブミ)を見ましたが、いにしへぶりのかきざまは、手に入(イツ)た物でござります
けり子「さやうでござります。何ぞ著述があつたでござりませうネ。世に残らぬは惜(ヲシ)いことでござります。ホンニ怜野集(レイヤシフ)をお返し申すであつた。永(ナガ)々御恩借いたしました。有(アリ)がたうござります
かも子「いへもう、おゆるりと御覧なさりませ。わたしはうけらが花を一冊かし失ひましたが、トント行方(ユクヘ)がしれませぬ
けり子「イヱ、どうもかし失ふでこまりますよ。此間はお哥(ウタ)はいかゞでござります
かも子「何か埒明(ラチアキ)ませぬ。先日(センジツ)どなたにか承(ウケタマハ)りましたが、あなたはひなぶりをもお詠(ヨミ)なさるさうでござりますネ
けり子「ハイサもう、お恥(ハヅ)かしい事でござります。あまり本哥(ホンカ)で対屈(タイクツ)いたす時は、なぐさみがてら俳諧哥(ハイカイウタ)をいたしますが、何もうお恥(ハヅ)かしい。お耳に入(イツ)てはおそれ入(イリ)ます
かも子「イヱサ、万葉(マンエフ)の中にも、大寺(オホデラ)の餓鬼(ガキ)のしりへにぬかづきの哥(ウタ)、ヱヽ夫から夏痩(ナツヤセ)によしといふものむなぎとりめせのたぐひ、その外あまた見えますし、殊(コト)には続万葉に俳諧体(ハイカイテイ)と申す体(テイ)がわかりましたから、無心体(テイ)の哥(ウタ)もおなぐさみには宜(ヨロシ)うござります
けり子「イヱモウ、松のおもはん事もはづかしでござります。此間ネ、あまりいやしい題でござりますが、おかちんをあべ川にいたして、去る所でいたゞきましたから、とりあへず一首致(イタシ)ました  うまじものあべ川もちはあさもよし  きな粉まぶして昼食ふもよし といたしました。ヲホヽヽヽ
かも子「ヲホヽヽヽヽ、冠辞(クワンジ)がふたつ立入て、至極面白ううけ給はります。まぶしてなどが、どうか古言のやうにきこえまして、ヲホヽヽヽヽ
けり子「イヱモウ、ほんのなぐさみでござります。先生などのお耳に入(イツ)たらお叱(シカ)り遊(アソ)ばすでござりませうよ
かも子「何おまへさん。いづれ雅(ミヤビ)の道でござりますものを。「ヲホヽヽヽ。うまじものあべ川とかゝり、あさもよし、きとうけて、昼くふうもよし。どうもいへません。ヲホヽヽヽ。あなた、お這入(ハ イリ)なさりますか
けり子「ハイ、まづおさきへ(トざくろ口へはいる)

【注】
「うつぼ」、『宇津保物語』平安初期の物語。10世紀後半の成立か。作者不詳。20巻(版本30巻)江戸時代初期に古活字本として刊行された。ここで言う「活字本」はこの本であろう。宣長門人の田中道麿も本書については研究し、宣長に報告して意見を聞いている(「うつほ物語の事」『玉勝間』巻2)。また松坂の門人殿村常久も師から与えられた課題として『宇津保物語年立』を執筆した。でも、一番最初の「俊蔭巻」も終えられずに中座するところが面白い。

「加茂翁の新釈」、賀茂真淵『源氏物語新釈』。宝暦8年成立。 「玉の小櫛」、

>>『源氏物語玉の小櫛』

「庚子道の記」、享保5(1720)年、尾張徳川家に仕える武女(タケジョ)が、江戸へ里帰りした時の日記。『十六夜日記』、『更級日記』など女流の紀行文学の伝統につながるものとして、清水浜臣の注釈で文化6(1809)年に刊行された。『浮世風呂』三篇刊行は同9年。 『怜野集』、『類題怜野集』加藤千蔭の門人清原雄風が、中古以来の歌を集めたもの。文化3年刊。

「うけらが花」、加藤千蔭の歌文集。7冊。享和2年刊。

「ひなぶり」、夷振り。狂歌。

「本歌」、正統な和歌。

「俳諧歌」、滑稽な歌。

「大寺の」、笠郎女が大伴家持に贈った歌24首の中の一つ。
「あひおもはぬ 人をおもふは 大寺の 餓鬼のしりへに 額ずくがごと」(『万葉集』巻4、608)

「夏やせ」、大伴家持が吉田連老に贈った歌の一つ。「石麻呂に 我もの申す 夏痩せに よしという物ぞ むなぎ(ウナギ)取り食せ」(『万葉集』巻16、3853) 「続万葉」、『古今集』のこと。この巻19に「俳諧歌」が載る。

「無心体」、鎌倉時代、機知・滑稽を主とする連歌。反対は「有心体」。

「松のおもはん」、『古今六帖』に「いかでなほ ありと知られじ 高砂の松の思はむ 事もはずかし」とあるのをふまえる。

「おかちん」、餅の女房詞。

「あべ川」、安倍川餅。黄粉をまぶした餅。

「うまじもの」、「あべ橘」に掛かる枕詞。 「あさもよし」、「き(着)」に掛かる枕詞。

「冠辞」、枕詞のこと。賀茂真淵『冠辞考』は、冠辞・枕詞の辞典。

>>『冠辞考』

「ざくろ口」、洗い場から浴槽にはいるところ。湯気を逃がさないようにしてある。入れ墨をした怖い男も、ざくろ口ではごめんなさいと頭を下げるのは、「銭湯の徳」(銭湯が人間の人格形成から見ても優れたところ)であるとは『浮世風呂』の説。『守貞漫稿』に挿絵有り。


【参考】
『浮世風呂』式亭三馬著。三篇巻之下(神保五弥校注・角川文庫P241〜244)


>>「本の貸し借りの勧め」
>>「かも子とけり子」
>>「加藤千蔭」



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