midashi_o.gif 荒木田経雅 (アラキダ・ツネタダ)

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 寛保3年(1743)9月4日〜文化2年(1805)3月。享年63歳。伊勢神宮の神官。宣長の友人。姓中川。
  安永2年(1773)、八の禰宜に任ぜられた時に感謝し、『皇大神宮儀式帳』の注釈を開始した。この本は延暦23年(802・空海が入唐した年でもある)に出来た、伊勢神宮に関する現存最古の文献である。安永4年『大神宮儀式解(ダイジングウギシキカイ)』の初稿が出来、その後、宣長の校閲と序文を添え完成。今も神宮研究の基礎資料として利用される。序文は400字詰め原稿用紙約6枚にも及び、宣長の序文としては異例に長い(『鈴屋集』掲載)。

  また、宣長も『古事記伝』が1冊書き上がるたびに、経雅の意見を聞いている。経雅は宣長に入門していない。経雅の身分が高いと言うことがあったのかも知れない。だが大変親しく、本の貸し借りや質疑応答は頻繁だ。またそうめんを宣長に贈ったことがある。安永6年、宣長が春庭、春村を同伴し参宮した時には、経雅の所にも立ち寄った。また、宣長も経雅を蛍狩りに誘ったり、鈴屋が出来てからは訪れ歌を詠んでいる。

 「平宣長が書斎を鈴屋といへり、そこにのぼりて
おとにきく これの鈴の屋 いにしへを したへる心 見るやすずの屋」
             『清渚集』巻47(『神道古典の研究』P154)


 また、天明3年、浅間山の噴火の鳴動を伊勢神宮で聞き、病弱だった経雅は病に罹る。その時には宣長も往診し見舞っている。

 「医師中村早田但見定義、楠部村山崎典治末典、松坂駅本居舜菴宣長、其余按摩等各心神労倦の上、時気に中りぬる由にて薬用せしめぬ、神明の恩頼にかゝり、諸医の力を用るによりて、九月下旬快復に向へり、此月昼夜親類朋友家来等の保護大かたならぬ事なり」(『慈裔真語』)

 天明5年には、宣長の求めで御厨神社の扁額を揮毫した。

【参考文献】
『神道古典の研究』池山聡助、国書刊行会。


>>「御厨神社」
>>「到来物」
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>>「本の貸し借りの勧め」
>>「質疑応答の勧め」
>>「往診」
>>「『大神宮儀式解』の奥書」



(C) 本居宣長記念館


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