midashi_o.gif 荒木田久老 (アラキダ・ヒサオユ)

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 延享3年(1746)11月21日〜文化元年(1804)8月14日。橋村(度会)正身二男。初め正恭(マサタダ)また正董(マサタダ)と名乗る。号、五十槻園。外祖父の養子となるが離縁、荒木田(宇治)久世の養子となる。宣長と共に賀茂真淵門。宣長とも親しく交わるが、距離も置き『万葉集』研究に生涯を捧げた。豪放磊落な性格で、誤解されがちだが、中々繊細なところのある人であった。「律儀な久老さん」をご参照いただきたい。その人柄を慕う門人など幅広い交流と、御師としての身軽さ、また師・真淵譲りともいえる柔軟な発想で、1700年代後半、宣長一門の活躍により伊勢が国学の拠点となった時代、その一翼を担った人物である。万葉調の歌を得意とし、筆跡も性格をよく表す。

 娘・菅は射和村竹川政信(宣長門人)に嫁ぎ、竹斎を生む。

 著書には『万葉考槻落葉』、『信濃漫録』、また本居記念館所蔵に、「御綱柏考」1冊(奥書「安永九年十二月出羽国人の問に答/荒木田神主久老」)がある。また、下に載せた画像だが、最近、息子の久守像ではないか疑う人がいる。写真では省略されているが、賛は久守である。しかし箱書は竹川竹斎で、自分のおじいさんである久老の画像を間違うはずはないと思うのだが。今はそのまま載せておくことにする。

【参考文献】
『荒木田久老歌文集並伝記』神宮司廳・昭和28年3月刊。

荒木田久老像
「荒木田久老像」(射和文庫所蔵)
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「五十槻の園の詞」部分
「五十槻の園の詞」部分・(宣長作・射和文庫所蔵)


>>「律儀な久老さん」
>>『元暦校本万葉集』



(C) 本居宣長記念館


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