midashi_o.gif 秋成と綾足

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 上田秋成には、国学修学時にやはり綾足の影響があったのに、やがてそれは回想の中から削除されていったことはよく知られている。

 「江戸の宇万伎といふ人の城番にお上りて、あやたりか引合して、弟子になりて、古学と云事の道かひらける。はしめはあや足か、教よ、といふについて学んたれと、とんと漢字のよめぬ わろて、物とふたひに、口をもしもじとして、其後にいふは、幸い御城内へ宇万伎といふ人か来てゐる、是を師にして、といふたか、縁しやあつた」『胆大小心録(異文二)』(『上田秋成全集』中央公論社刊・9-249)

 これが推敲されると、
 「ふしきに、江戸の藤原の宇万伎といふ師にあひて、其いふかしき事ともをつはらに承りしか」(同書P133)と、もはや綾足の影はどこにも見ることはできない。

 この削除について、綾足の上京年次などから秋成との関係を疑う人もいるようだが、原雅子氏が「秋成自身が唯一の師として崇めた宇万伎を紹介した人物名の記憶違いはなかろうと思う」(「加藤宇万伎の下坂」『【共同研究】秋成とその時代』)と言われるように、まず秋成の言を信じるべきであろう。


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