今月の宣長さん
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「廿八日、今夜北方有赤気、始四時頃如見甚遠方火事、とある。 今夜、北の空が赤くなっていた。10時頃は遠くの火事のように見えたが、 この変異は宣長も言うように全国的なもので、
>> 「不思議」 >> 「明和7年のオーロラ」 >> 「村井古巖」 ![]() ◇7月はどうしてふみづきか? 昔の暦では、文月7月は、もう秋です。暑さも残暑となります。 7月はフミヅキ、またフヅキと呼びます。6月はミナヅキですね。 6月が水無しで、7月が文なのだろうと考えた事はありませんか。 宣長さんも疑問に思い、いろいろ考えたようです。 『古事記伝』巻30で、 「賀茂真淵先生の説では、七月(フミヅキ)は穂含月(ホフフミヅキ)、で、八月(ハヅキ)は穂発月(ホハリヅキ)、九月(ナガツキ)は稲刈月(イナカリヅキ)だとおっしゃったのは納得できる説である。だが、その他の月はどうなるのだろう。実は私もいろいろ考えたのだが、12ヶ月全部はまだ説明できないので今は言わない。また考えがまとまったら公表しようと思う。」と書いていますが、残念ながらその後の著作ではこの問題に触れていません。 うまく説明がつかなかったのでしょうか。 ![]() ◇災い転じて・・ 宣長さん52歳の時ですが、残暑厳しいこの季節、瘧という病気に罹ります。 瘧(おこり)はマラリア性の熱病で、わらわやみとも言います。光源氏が罹って療養中に若紫を見つけたという、あの病気です。このため、宣長さんは講釈や質疑応答などを以後一年半にわたって休止します。 でも、この病気に罹って本当に調子の悪かった頃、宣長さんは面白い仕事を残しています。 天文暦学研究と、書斎「鈴屋」の増築です。 7月15日頃発病した宣長さんは、やや快復傾向にあった8月17日『天文図説』を執筆します。 本書は、西洋の天文学などを援用し、日月の運行を図解した本。「朔月之図」、「上弦月之図」など8種10図をコンパスで描き、解説を加える。執筆のきっかけは、書く3日前、つまり8月15日、十五夜に月食があったためかもしれません。 また、翌月には『真暦考』も出来ています。暦が伝ってくる前のことを考察した本です。 体調優れない時期に、気分転換に天文や暦学と言った本を書いたのかもしれません。 『古事記伝』執筆や質疑応答のような一々原点を確認したりと集中を要する仕事に比べれば、宣長さんほどの学識が有れば天井を見ながらでも構想は練れたのでしょう。 10月8日には、2階の増築に着手しています。12月上旬竣工。書斎鈴屋です。下世話な推測ですが、この前年、前々年と年間医療収入が90両と、記録に残る限り最高額を記録したのも、増築に踏み切った一要因かもしれません。 この変な病気も、超多忙な宣長さんには、よき休息期間となったようです。 ![]() >> 「毎月の宣長さん」6月 >> 「毎月の宣長さん」7月 |
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