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「宣長懐紙」 |
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外祖母・村田元寿尼八十賀に寄せた歌。歌を依頼する母の書簡も残る。母の一族が歌を贈答するそんな環境の中で宣長は誕生し育った。 |
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『万葉集問目』(まんようしゅうもんもく) |
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17冊第5冊。巻8「成牛鳴」をどう読むかという宣長の質問に対し、牛はモウと鳴くから「も」で「ならんも」と読むのだと回答する。また蜂音はブだと教える。 |
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『文布』(あやぬの) |
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版本1冊【個人蔵】「県門三才女の一人・油谷倭文子の遺文集。「いかほのゆきぶり」冒頭を展示。宣長の添削が脇にあり、文政元年六月二十二日大平奥書を添える。 |
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『寛政六年同十一年若山行日記』 |
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1冊、寛政6年閏霜月12日、紀州和歌山にある吹上御殿で清信院と姫君に講釈した条。テキストは『源氏物語』若紫巻、『古今集』俳諧部。二汁七菜のごちそうをよばれ、また老女の計らいで寒かろうと綿子まで用意してもらうという厚遇であった。左頁には御針医格昇進伝達式の様子が描かれる。 |

藤堂藩医のお嬢さんだった妻には、松阪の町人社会の生活がなかなか馴染めなかったようで、よく里帰りをする。また、息子春庭が京都滞在中には、なかなか帰宅しないと言うこともあり宣長も頭を抱えている。
>> 勝
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『日記』 |
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宝暦14(明和元)年1月16日、勝、健蔵(春庭)と里帰り。正月の里帰りはこの日と決まっていたようである。2月28日ようやく帰宅。遅れた一因は、兄草深玄周の婚礼があったため。 |
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「宣長書簡」 |
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小西春村宛、寛政9年4月11日付。お母さんに早く帰るように言いなさいと次男に言い送った手紙。 |
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「妻勝書簡」 |
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1通。ごく稀にはご主人の仕事も手伝ったのか『うひ山ぶみ』校正を美濃に伝達する手紙。 |
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「大晦日鏡供へ覚」 |
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1幅。宣長留守中の鏡餅の供え方。 |
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「荒木三野詠草」 |
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三野は宣長の数少ない女性門人の一人。亡き師の霊前に銘菓「玉椿」を供える歌。 |
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「母勝書簡」 |
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次女俊の結婚の買い物を在京中の宣長に依頼する。 |
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『諸用帳』 |
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寛政2年年末、婚礼を翌年に控えた美濃のためであろう、「櫛二枚二、かうがい二、かんざし三」合計15両! |
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「美濃婚儀録・能登婚儀録」 |
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1冊。宣長筆。当時の結婚式の様子がよくわかる。
>> 美濃
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寛政4年、友人橋本経亮が神主を務める京都・梅宮大社に宣長は梅を寄進する。その時の宣長と春庭の詠草などを展示。
>> 宣長、梅を寄進する
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「帆足京短冊」 |
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>> 帆足京短冊
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「蓮月尼消息」 |
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1通。幕末の京都で活躍した才媛蓮月尼の流麗な筆跡。 |
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『玉あられ』 |
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宣長著、ゆか子写。宣長の語法書は女性にもよく読まれた。
>> 「かも子とけり子」
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『松の落葉』 |
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1冊。気になる言葉や考えついた解釈などメモしたもの。
「不逢(あわず)して帰るをも別れと云か。忠岑歌」
「柳に梢と云ことはいかが」
「出雲国出雲郡(シュットコオリ)出雲村(アタカヒムラ)あり」
「予昔日奈良より初瀬へとをる間にて土民のニナフサムキと云うをふと聞けり。ニナフと云う詞ふるき詞にて俗言には珍らし」。最後は奈良の長谷を旅した時の見聞で、里人の言葉に思いも掛けぬ古い言葉があることに驚いている。
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