
宣長と「注釈」の小話
●注釈史に燦然と輝く『古事記伝』

▲『古事記伝』再稿本宣長筆44冊(展示は一部のみ)
「注とは、そそぐ、水をかけて、固い地面をやわらかにするように、難しい本文の意味を易しくすること」一説には、それが注釈の語源と言われているそう。易しく、わかりやすくする、と言うのは簡単だが、実際には非常に大変な作業だ。それが、文化や時代が異なる、遙か遠い昔の話であるなら、なおのこと。
注釈とは、テキストの背景にあるものまで解読する作業だ。そのためには、言葉はもちろん、風俗から法律、自然環境まで把握していなければ務まらない。それだけなら、博識な人でも出来る。ところが、宣長の注釈はそれだけではない。それに時間の流れまで加わっていた。言葉なら意味がどのように移り変わってきたのか、また和歌のスタイルの変遷など、あらゆる事柄の変化の過程が頭に入っていた。そして、テキストをしっかり読み、想像力を働かせていたのである。
宣長が35年の歳月をかけて完成させた『古事記伝』44冊。学問は絶えず更新されていくものであると考える宣長は、自身の『古事記伝』も、やがて新たな学問の波の中へ呑まれていくのだろうと考えていた。けれど、宣長が最終巻の筆を置き220年以上の歳月が流れた現在でも、『古事記伝』は色あせない。
宣長は、『古事記伝』には、関係ありそうなことは取りあえず全部書いたと述べている。
「おのれこの古事記の註は、つばらかなるうへにも、なほつばらかにせんとなん思ひ侍ればば、うるさきまで長々しく侍る也。さるは古事記にかゝらぬあたしことをさへ、何くれとかきくはへて、大よそ古学の道は、此のふみにつくしてんの心がまへになん侍る」
(相模国小田原の飯田百頃宛宣長書簡)
つまり注釈というスタイルを借りて、入門書、いやそれ以上の本を作ろうとしていたようだ。ここに、『古事記伝』が時代を超え、今も輝く理由がある。
●注釈=テキストをどう読むか
「注釈」と聞くと、みなさんはどんな風に思うでしょう。
ひたすら部屋の中で、古い文献や分厚い辞書をひっくり返し、ちまちまちまちま言葉の意味を書いていく――きっと、そんな辛気くさいイメージ?
そんなのは、学校の古典の授業の中でのお話!
宣長が感激し、生涯をかけて行った「注釈」という作業は、ときには想像し、ときには現地にだって飛び出す、もっとダイナミックなものだった。
種々の学問が興った江戸時代は、注釈の時代でもある。宣長自身が『百人一首改観抄』や『源氏物語湖月抄』などの注釈書で学んだ古典も多く、そうした著作によって研究の方法を知ることだってあった。契沖は方法を、北村季吟は現在の注釈スタイルを作った先達だ。そんな先輩たちが書き残したテキストのページを捲りながら、宣長は自らの注釈スタイルを確立していく。
●注釈の必要性
宣長は、晩年に書き記した学問入門書『うひ山ぶみ』の中で次のようなことをいう。
「古書の注釈を作らんと、早く心がくべし、物の注釈をするは、すべて大に学問のためになること也、」
「古書の注釈を作らんと云々、 書をよむに、たゞ何となくてよむときは、いかほど委く見んと思ひても、限リあるものなるに、みづから物の注釈をもせんと、こゝろがけて見るときには、何れの書にても、格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて、又外にも得る事の多きもの也、されば其心ざしたるすぢ、たとひ成就はせずといへども、すべて学問に大いに益あること也、是は物の注釈のみにもかぎらず、何事にもせよ、著述をこゝろがくべき也」
読んでいるだけでは、何となく分かったような気になるだけ。本当の理解は得られない。「注釈」という行為が、学問を深化させていくのだという。
だから、学問をするには注釈をするのが最もいい方法なのである。
●『古事記』vs『日本書紀』
「古昔(ムカシ)より世間(ヨノナカ)おしなべて、只 此ノ『書紀』をのみ、人たふとび用いて、世々の物知リ人も、是レにいたく心をくだきつゝ、言痛(コチタ)きまでその「神代巻」〔カミヨノマキ〕には、註釈なども多かるに、此『記』をば たゞなほざりに思ヒ過(スグ)して、心を用ひむ物としも思ひたらず」 (『古事記伝』宣長著 巻1)
宣長が言うように、当時、歴史書といえば『日本書紀』。漢文できっちり書かれているので、これこそが真の歴史書であると評価が高かった。『古事記』といえばニセモノ扱いで、ほとんど重要視されていなかった。そんな扱いだから、当然、『古事記』の注釈書なんてない。宣長が持っていた『古事記』だって、他の歴史書を購入した際についてきた、オマケみたいなもの。そんな宣長の『古事記』は、書き込みや附箋でびっしりだ。誰も手に取らなかった本から、宣長は注釈の世界を広げていく。
けれど、『日本書紀』が全否定だったわけではない。
宣長は『書紀』について、漢籍風の潤色が多い点を批判したが、その飾りに惑わされることなく読めさえすれば、『書紀』も価値ある本なのである。
『書紀』といえば、津の谷川士清だ。彼は注釈書『日本書紀通証』(35巻)をはじめ、現在の国語辞典の先駆けともいえる『倭訓栞』(93巻)も執筆した。最初は宣長も「『書紀』じゃない。やはり『古事記』が一番ですよ」だなんて挑発的な手紙を送っているが、やがて士清の博識ぶりは宣長を魅了していき、真淵没後は21歳も年上の士清と多くの議論を行った。今回は、宣長が士清へ宛てた長文の書簡を展示した。当初、宣長は『古事記伝』をひっそりと執筆していたようである。そんな中、士清から『記伝』借用を請われ、びっくりするという、珍しい宣長の姿を見ることが出来る。中途半端なものを人に見せるわけには……と長々と弁明する宣長だが、結局熱意に負け、士清に『古事記伝』を貸すことになる。反発から始まった、歩くデータベースのような士清との交流も、宣長の注釈作成を助ける要素となっていく。 |