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宣長の京とりっぷ


 「トリップ」というと小旅行というイメージ、でも宣長の京都旅行は短期滞在ではない。
19歳の時には1ヶ月の旅、洛中洛外、参拝社寺は延べ93箇所にのぼる。23歳からの医者の勉強は約5年半。64歳の時には妙法院宮への拝謁などで約1ヶ月、72歳、亡くなる直前には2ヶ月に及ぶ京都滞在。結論は、「やっぱり京都が一番だね」。
 では、どうしてトリップ?
 宣長は、18世紀中頃の京都で暮らし、また歩きながらも、しばしその心は、憧れの王朝の時代にトリップするのです。葵祭の牛車を見て、「むかし思ひやられて、そぞろ涙落ちぬべし」、御所の御修法を拝したときには「昔の盛んなりし御代の大内の様、思ひやられて、立つことも忘れて」しまう有り様。18世紀の京都から11世紀、『源氏物語』の世界に瞬間移動です。でも、すぐに母からの手紙で現実に引き戻されもしますが、でもやっぱり京都は楽しい。そんな日々を『日記』のページをめくりながら、しばし京都トリップへ。いざ出発!


 【会  期】 2019年9月10日(火)〜12月8日(日)
 【展示総数】 76種94点※内、国重要文化財49点
 【展示説明会】9月21日(土)10月19日(土)、11月16日(土)
         いずれも午前11時から
 【休館日】  月曜日(祝日の場合は翌日)
         ※ ただし、10月15日(火)は開館  



あぁっ!あこがれの京都


 宣長の中で、とても重要な部分を占める「京都」。もちろん、松坂の町だって、いいところはたくさんありますが、京都の町は宣長のとって格別。宣長は、生涯に計9回京都へ足を運んでいます。23歳からの医学修業はもちろん、気晴らしの旅行であったり、御遷幸拝見へ行ったり。内容は様々ですが、共通点はいずれも「楽しそう」なところ!
 今回は、そんな宣長の『日記』をもとに、宣長の京都行きを覗いてみましょう。松坂に暮らしながら、京都での楽しい日々を想っては脳内トリップしていた宣長のように、私たちも宣長が見て感じた京の町へ『日記』片手に小旅行です。

 



京都と宣長のおはなし          ◎……国重要文化財

◆京都への関心

 宣長にとって、最初の上京は16歳のとき。北野天満宮などを参詣した、2週間弱の京都見物でした。江戸へ商人修行に行く1か月ほど前のことなので、きっと、「これからは、もうこんなに自由なことは出来ないだろうから…」という、これまでの生活との決別の意味を持った旅行だったのかもしれません。
都考抜書 その後、1年で商人修行を打ち切り松坂へ帰った宣長は、2年ほど引きこもった生活を送るようになります。部屋へ籠り、地図を描いたり、本を読んだり。京都への関心が芽生えたのは、このころでしょう。とりあえず、京都に関する記事や情報をノートにびっしり集めてみます。本に自らの居場所を見出した孤独な少年は、だんだんと怪しくなり、今度は空想の都市図を描くように……。それが、90度回転させると、そのまま京都の形をしているのです。

 これでは、いけない!……と宣長の母かつが思ったかどうかは知りませんが、心配であったことは、間違いないでしょう。19歳の宣長は、2度目の京都旅行に出かけました。今度は1か月もかけて寺社93か所も参詣し、芝居に祭りにとなかなか豪勢な旅です。部屋の中にばかりいる宣長への気分転換か。それとも、この後養子へ行く宣長への修学旅行でしょうか。寺社ばかりでなく、お公家さんの家も外からそれとなく眺めたりして、貴族文化が好きなところは、この頃から変わっていないみたいです。
 宣長の家は熱心な浄土宗の家系ですから、総本山知恩院がある京都は、きっと幼い頃から意識する環境下で育ったのでしょう。

    ◎『日記』宣長筆
    ◎『都考抜書』宣長筆
       ※京都の記事をかき集めた
    「端原氏城下絵図」(拡大パネルで展示)
       ※宣長の空想地図を近くで見てみよう!
    ◎「京の図」宣長筆
    ◎『覚』「日々動作勒記」宣長(19歳)筆

◆とにかく楽しいことが伝わる!『在京日記』

 医学修業のため、23歳から京都へ勉強に行く宣長。漢方医になるため、まずは漢学の勉強をしようと儒者堀景山に入門します。景山は、芸州藩(広島)浅野家に仕えながら京都住を許され、京都綾小路室町西に住む儒官でした。宣長は、宝暦2年(1752、宣長23歳)3月19日から宝暦4年(1754)10月10日に医学の師武川幸順宅へ寄宿するまで、この堀家にお世話になることになります。
 この景山先生は、宣長にとって非常に興味深い人でした。儒家であるものの日本古典や歴史が大好き。『百人一首改観抄』という江戸前期の歌人契沖の著書を友人と刊行し、世に出したのは景山だ。宣長は言わないが、彼に『改観抄』を紹介したのも、おそらく景山先生でしょう。宣長は、景山先生に師事するうちに、どんどん古典への目を開かれていきます。
 しかも、京都ではたくさんの友人たちにも恵まれました。友達と連れだって、祭りに芝居、歌会や宴会、たびたび馬に乗りに行ったり、京都御所参観、今ではうらやましい話ですが東寺の五重塔(国宝)にも登っています。宣長の京都生活5年半を綴る『在京日記』には、こういった楽しく遊んだ記事ばかり。たまに、お母さんから「松坂からお前のやることを見ているぞ」と手紙が飛んできてハッとします。自分でも「今日も明日も遊び暮らすのはどうだろうか」とは思うものの、あまり変化はありません。
 宣長はきっと松坂に帰ってからも、「楽しかったなぁ」と思い出しては頭の中で小旅行へ出かけていたのでしょう。


▲ 『在京日記』第1冊宝暦6年(1756、宣長27歳)正月9日
 宣長は、親友山田孟明宅を訪れた。先客には、景山先生や横関斎もいらっしゃる。しばらくは高尚な話に打ち興じていましたが、やがて平曲が始まり酒が出てきて、賑やかな会となり、結局お開きは夜更けとなりました。

    ◎『在京日記』宣長筆
    ◎『春秋左氏伝』宣長手沢本※師景山説を丹念に書き込んでいる
    ◎『百人一首改観抄』契沖著※証拠を集めて立証していく学問の方法
    ◎「母勝書簡」宝暦6年7月19日付※酒は盃三杯以上飲んではならない

◆やはり、京都だ―宣長、最後の上京

 享和元年(1801、宣長72歳)3月、つい4週間ほど前まで和歌山へ出かけていた宣長は、今度は講釈のため上京します。この9回目の京都行きは、門人の要望ももちろんありましたが、なかなか堅い京都鈴門の戸を開き、古学普及をしたいという宣長の願いがあったからです。
 宣長人気の『源氏物語』の講釈をはじめ、自らの著作についても多く講釈を行い、合間には京の町を散策したり、祭り見物に行ったり、知人の家を訪れたり。この充実の75日間は、『享和元年上京日記』に記されています。諸国の門人も急いで上京して宣長を迎え、公卿だけでなく、僧侶、医者、画家など、多彩な人々が連日行われる講釈に集う盛況ぶりだったようです。
 このときに宣長の滞在先となったのは、四条烏丸。宣長が20代の頃に5年半修学した、懐かしい場所です。滞在する宣長は、松坂の息子へ宛てた手紙で、

「旅宿の事は、先日図を書いた通りだが、大変使い勝手がよく、大変きれいな家で悦んでいる。さて、京都は和歌山滞在とは違ってずいぶん面白い。しかも又、身の回りの世話をする和嘉助が柔和なで良い人物で悦んでいる。食事もずいぶん塩梅良く準備してくれる」
……と、借りた家の図面まで描いてよろこんでいます。


  ▲「春庭宛宣長書簡」享和元年(1801、宣長72歳)4月朔日付借りた家の図

 宣長は松坂へ帰ってから、「おのが京のやどりの事」という短い文章を書きました。

「江戸大坂はあまりに人が多すぎてごたごたしているけれど、ほどよい賑わいで、様々な由緒ある寺社仏閣が多く、人の心構えが立派で、すべての物事に品がある。この世で一番住みたい場所は、そうはいっても京都の他にはないものだ」

――だなんて、宣長の京都愛溢れる内容です。
 結果的にこれが最後となりますが、宣長の72年の生涯を締めくくる一大事業となりました。「満足満足」なんて宣長の声まで聞こえてきそうですね。

    ◎『享和元年上京日記』宣長筆
    ◎「春庭宛宣長書簡」享和元年4月朔日付
    ◎「富小路貞直卿宣長の帰国を送る長歌」
     「堂上方諸家詠草」※京都でやりとりした公卿たちの詠草

 



●会期中のイベント
 令和元年度宣長十講「古典をよむ、今を見る」を開催中です!

 ・9 月21日(土)

『菅笠日記』にみる宣長の「古典」
       講師:西野由紀先生(天理大学)
 ・10月19日(土) 宣長の祝詞注釈―大祓詞を中心に―
       講師:秦昌弘先生(皇学館大学)
 ・11月16日(土) 天皇の仏教信仰と宣長
   ―『続紀歴朝詔詞解』を手がかりに―
       講師:森和也先生(中村元東方研究所)
   ※宣長十講:いずれも14:00〜15:00
         会場 本居宣長記念館2階講座室、参加費100円(資料代)


  
  
         
 

 

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