【主要展示資料】 ※画像をクリックすると大きな画像が別画面に表示されます。
@ 『万覚』本居宣長筆少年・宣長の世界が凝縮
表紙に『萬覺』と記されたこの小さなメモが、宣長の学びの第一歩。本を読んで得た知識を次々と書き連ねていきます。内容は衣類の洗濯方法や植物の植え方、火や水の扱い、植物の育て方といった生活の知恵、度量衡の覚、なぞなぞなど。12,3歳の頃に書き始め19歳頃まで書き足したと考えられますが、この【何にでも興味を持つ】・【何でも記録する】姿勢から、宣長の生涯の物学びが始まっていくと言っても過言ではありません。

A 『端原氏城下絵図』本居宣長筆どこの地図だろう?
寛延元(1748)年、宣長が19歳のときに作成した地図です。実はこの地図、現実には存在しない架空の都市を描いた地図なのです。ひとり黙々と勉強に励む宣長は、とうとうその地図好き・系図好きが高じて架空の町まで作り上げてしまいました。とはいえ、北を流れる嶋田川が左手にくるように傾けてみると、町の構造が宣長憧れの町・京都によく似ていることに気付きますね。1階に展示中の「新撰増補京大絵図」(京都の地図)とぜひ見比べてみてください。
B 「宗族図」本居宣長筆
「宗族図」「母党図」「妻党図」「婚姻図」の4つの系図を載せています。この頃既に芽生えていた、家の歴史・伝統に対する関心を、宣長は晩年まで持ち続けていきました。著作にはほとんど図を使用しませんが、地図や表など、言葉で考えるだけでなく図解するのも宣長得意の方法です。署名の「小津真良」は宣長が10代の頃使用していた名前で、延享元年(1744)15歳の頃に書いたこの図が最も早い時期の使用例です。
以上は宣長のひとりでの勉強方法です。 |