鈴屋円居の図部分 本居宣長記念館
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秋の特別展 歌を詠む宣長
期間 2003年10月7日(火)〜11月30日(日)


☆ 展 示 の 趣 旨



 本居宣長は『うひ山ぶみ』の中で、「すべて人は、かならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也」、人には歌が必要だ、学問に志すならなおさら歌を詠まねばならないといいました。これは宣長自ら実践したことです。医者をやりながら、『古事記』など日本の古典を研究し、生涯に1万首以上の歌を遺しています。さて、今回の展示では、宣長が歌を詠んだ場所、と言っても特定の場所ではなく「機会」という意味です、に注目します。

 28歳の初冬、京都から松坂に帰った宣長は、まもなく嶺松院歌会に参加します。そのメンバーと古典講釈の会や、また会場を変えて歌会を月に何度も開きます。このような同じ趣味を持つ仲間との会を「円居」(マドイ)と言います。

 今回の展示では「歌を詠む場所としての円居」に注目し、その様子を窺う。また学問もそこから生まれてきたことを見ていただきます。
展示品88種123点。国重要文化財47種。

☆ 主な展示品



「春思」1幅。堀景山書

「母勝書簡」

「板文庫歌」1幅・板文庫」1具
「春思」1幅。堀景山書
 
「母勝書簡」
※宝暦6年文月19日付。
 
「板文庫歌」1幅・
板文庫」1具
※紀州藩主徳川治宝侯
からの 拝領品。

「本居宣長書簡」(享和元年4月・四条宿図入り)1幅
「本居宣長七十二歳像」1幅。鴨川井特画。
『三代集』・『新古今集』1冊、春庭写。※豆本。
『古書類聚抄』10冊※自家製データベース。
「天地図下書」(『玉くしげ別巻』草稿紙背)1冊。



☆ 今回の展示では・・     [ ]内の数字は展示ケースです。

1,「古事記伝終業慶賀の詠」


 35年の歳月をかけ執筆した『古事記伝』。その完成祝賀会(69歳)も9月13夜の月見の会「円居」(マドイ)として開かれた。[1]

 >>「『古事記伝』書き終わる 」

 


古事記伝終業慶賀の詠
「宣長の詠」部分


2,「円居」とはなんですか?



 友達が集まり丸くなって座ること。たとえば歌会や講釈、月見に花見、紅葉狩りなど。学習会というよりもう少し気楽な会だったようだ。野原で気の合う友達と酒を飲むのも「円居」。
「此ちかきあたりのものどもとみゆる五六人、芝のうへにまとゐして、酒などのみをるは、わざとのぼりて見る人も、又有けり」『菅笠日記』。[14]


3,円居の様子


 「鈴屋円居の図」は、宣長と友人たちを描く。風折れ烏帽子や狩衣と言った一見するとお公家さんのような格好をしているが実は松坂の商店主や大店の若旦那。古典世界に遊ぶためには衣装も工夫した。[5]

 >>「鈴屋円居の図 」

鈴屋円居の図
「鈴屋円居の図」部分


4,笛とカルタ


 円居の席では、時には管弦やまたカルタも行われた。『名所地名箋式』は宣長創案のカルタの方式。これで遊ぶと「歌枕」の知識が身に付く。得意とする催馬楽を歌い宣長が感動したと言う話も残っている。展示してないが「戦いの甲斐無くて残れるはただ弓矢のみ」は何だ?というような「なぞなぞ」も行われた。(答は「畳」)。 [5]


5,歌を詠むにはまず『源氏物語』


 和歌が短歌と違う点の一つに「古典」の重視がある。和歌の上達には古典の勉強が必須。「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」とまで言われた。嶺松院メンバーは宣長が『源氏物語』に詳しいことを知りその講釈を発案する。古典研究家宣長はこの中から誕生する。展示の『源氏物語湖月抄』や『二十一代集』は講釈のテキスト。[11]


6,一人は寂しい


 宣長が「円居」を好んだのは、人と一緒が好きという性格にあった。静かな山林より町の生活が性に合っていると言う宣長が一番好きだったのが京都四条烏丸あたり。
 「宣長書簡」[6]にはそのお気に入りの場所で借りた家の間取り図が添えられる。「いい家だ」だけでは良さが判らないだろ、この間取りを見たまえ、と言ったところか。

 >>「四条烏丸の宣長」


7,酒は3杯以上飲んではダメ


 京都で医者の修行をしていた宣長(27歳)に送った母・勝の手紙。盃に三つより上食べ申されまじく候、とある。隣は本居家伝来の盃。また『尾花が本』は、その頃に書いたたばこの随筆。宣長は愛煙家でもあった。といっても調べてみると酒もたばこも雰囲気が好きで、そんなに大酒飲みでもヘビースモーカーでもなかったようだ。どうやら、酒やたばこのある雰囲気が好きだったらしい。[2]

 >>「お酒」

盃
母・勝の手紙と本居家の盃


8,頭の中のデータベース


 宣長の研究生活を支えていたのが「頭の中のデータベース」。『古書類聚抄』はその中心的なもので、たとえば「飲食」を見ると古典に登場する飲食関係記事が網羅され、ページ数(丁数)も指示されている。これらの知識は「円居」の席での情報で常に更新されていった。


9,40年間使い続けられた『古事記』



 『古事記』(712年成立)は、現存最古の歴史書。宣長はこの本の研究に半生を費やした。本書を京都遊学中(28歳)に購入し、亡くなる72歳まで机の側から離さなかった。賀茂真淵先生に教わったことや旅人から聞いた話などおびただしい書き入れや付箋が貼ってある。[13]


10,地は球だ!



 宣長の学問は、自分が抱いた疑問を大事に追求していったことから始まった。研究も生活密着型。毎日の多くの見聞が研究に生かされた。体験を生かす。これが宣長の学問。
 22歳の時に登った富士山での体験から、地が球であること(地球)を納得したと書いたのが『九山八海解嘲論の弁』[9]という難しい名前の本。今回の展示では、この本や、『古事記』に出てくる「クラゲ」っていったいどんな生き物かと言う宣長の疑問に答えた門人のレポート[13]も展示する。

 >>富士山


11,ヤマタノオロチ?



 宣長のもとには全国から情報が集まった。中には怪しげなものもあった。[13]


12,日常生活がきちんと出来ない人間には学問は出来ない



 宣長はそういう風に考えていたようだ。医療帳簿『済世録』はもちろん、家計簿『諸用帳』、訪問客の住所や名前を記した「来訪諸子居住所并聞名諸子」、大晦日の鏡餅の供え方を記したものなどたくさんの記録を残し、それを上手に使い超多忙な中でも円滑に毎日を暮らしていった。

 >>『済世録』(サイセイロク)

 


 

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