◇ 展示の内容 今回は、宣長の代表作の一つ、随筆集『玉勝間(タマガツマ)がテーマです。 「玉勝間」とは、きれいな(玉)カゴ(勝間)のことです。 捨てるには惜しい文章を入れておくためのカゴという意味から命名されたものです。 60代半ばから晩年まで書き継いだ随筆集で、中には数ページにもわたる論文から、たった一行で終わるものまで長短さまざま、全部で14冊、1005項目からなっています。 この中には、勉強についての回想や、また生まれ育った町松阪や、憧れの町京都のこと、 読書の中で気づいたこと、自分の好みに至るまで、実に色々なことが書かれていて、 宣長を知るのには一番よい本です。 宣長はどんな人だったのか、 また18世紀の松阪で、宣長の「知」がどのような広がりを見せるのか、 ぜひご覧下さい。 ◇ 主な展示品 ◎国重要文化財 こよなく愛した桜に関する作品(宣長の懐紙・宇田荻邨「山桜」)、 素材となった読書ノート『本居宣長随筆』(国重文)、 草稿本『玉勝間下書』(国重文)、 また同書に登場する田中道麿の画像や関連する書籍、 アルファベット図、「長崎の図」などを展示します。 ◇ 見どころ 61歳の時に京都の旅宿に訪ねてきた 出雲国神魂神社・秋上神主の語り、 それは『古事記』の世界が未だに生き続けている証とも言える談話でした。 貴重なその証言を宣長はどのように処理し、『古事記伝』に載せ、 また『玉勝間』に収録していくのか。 『古事記』付箋や『本居宣長随筆』など資料で具体的にたどります。 また、3月に寄贈された「天神ノ森碑文拓本」は初公開です。 碑は今も松阪市愛宕町の菅相寺に残りますが、火災や地震で碑面は損傷しています。 この拓本は、碑が立てられた当時のもので、大変貴重なものです。 文は宣長、書は加藤千蔭です。 堂々たる碑文をぜひご覧下さい。 ◇ 今回の展示をごらんいただくために >> 「『玉勝間』を読もう」(らんと和歌子の対話) 1,公開されたメモ帳 としての『玉勝間』 2,耳学問 3,なぜ執筆したか・刊行したか 4,いつから書き始めたか 5,宣長は学校嫌い? 6,ことばを聞くと検索エンジンが動き出す 7,斎王の目に涙 8,『玉勝間』の面白さ >> 桜 >> 菅相寺
◇ 展示の内容 今回は、宣長の代表作の一つ、随筆集『玉勝間(タマガツマ)がテーマです。 「玉勝間」とは、きれいな(玉)カゴ(勝間)のことです。 捨てるには惜しい文章を入れておくためのカゴという意味から命名されたものです。 60代半ばから晩年まで書き継いだ随筆集で、中には数ページにもわたる論文から、たった一行で終わるものまで長短さまざま、全部で14冊、1005項目からなっています。 この中には、勉強についての回想や、また生まれ育った町松阪や、憧れの町京都のこと、 読書の中で気づいたこと、自分の好みに至るまで、実に色々なことが書かれていて、 宣長を知るのには一番よい本です。 宣長はどんな人だったのか、 また18世紀の松阪で、宣長の「知」がどのような広がりを見せるのか、 ぜひご覧下さい。 ◇ 主な展示品 ◎国重要文化財 こよなく愛した桜に関する作品(宣長の懐紙・宇田荻邨「山桜」)、 素材となった読書ノート『本居宣長随筆』(国重文)、 草稿本『玉勝間下書』(国重文)、 また同書に登場する田中道麿の画像や関連する書籍、 アルファベット図、「長崎の図」などを展示します。 ◇ 見どころ 61歳の時に京都の旅宿に訪ねてきた 出雲国神魂神社・秋上神主の語り、 それは『古事記』の世界が未だに生き続けている証とも言える談話でした。 貴重なその証言を宣長はどのように処理し、『古事記伝』に載せ、 また『玉勝間』に収録していくのか。 『古事記』付箋や『本居宣長随筆』など資料で具体的にたどります。
また、3月に寄贈された「天神ノ森碑文拓本」は初公開です。 碑は今も松阪市愛宕町の菅相寺に残りますが、火災や地震で碑面は損傷しています。 この拓本は、碑が立てられた当時のもので、大変貴重なものです。 文は宣長、書は加藤千蔭です。 堂々たる碑文をぜひご覧下さい。 ◇ 今回の展示をごらんいただくために >> 「『玉勝間』を読もう」(らんと和歌子の対話)
5,宣長は学校嫌い?
>> 桜 >> 菅相寺
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