宣長四十四歳自画像部分 本居宣長記念館
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「本居宣長略年譜」
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  年月日は旧暦(太陰暦) ※印は一般項目
享保15(1730) 1歳
spacer 5月7日 松坂本町に生誕。小津富之助と称する。
 
享保16(1731) 2歳
spacer ※4月25日 松坂新町樹敬寺塔頭嶺松院で歌会始まる(一説に再開)。
 
元文2(1737) 8歳
spacer 8月  西村三郎兵衛を師とし、手習いを開始。
 
元文5(1740) 11歳
spacer 閏7月23日 父定利、江戸店で没(46歳)。通称を弥四郎と改める。
 
寛保元(1741) 12歳
spacer 3月  名を栄貞と改める。
  5月14日 母、弟妹と魚町の別宅に移る。
 
寛保2(1742) 13歳
spacer 7月  吉野水分神社、大峰山などに参詣。
  12月16日 半元服。『日記』起筆か。
 
延享元(1744) 15歳
spacer 9月  『神器伝授図』、『職原抄支流』書写。樹敬寺で赤穂義士の話を聞き、帰宅後『赤穂義士伝』を書く。
  12月21日 元服。
 
延享2(1745) 16歳
spacer 2月  京都見物。
  3月  『松坂勝覧』起筆。
  4月
江戸下向。翌年3月まで大伝馬町にある叔父の店に寄宿。商売見習いか。
◇京都への憧れを抱く。
  ※11月2日 徳川家重9代将軍となる。
 
延享3(1746) 17歳
spacer 4月  江戸から帰る。
  5月  『大日本天下四海画図』起筆。
  7月28日
『都考抜書』起筆。
 
延享4(1747) 18歳
spacer 11月14日 『和歌の浦』起筆。
◇和歌に興味を持ちだす。
 
寛延元(1748) 19歳
spacer 4月  近江、京、大坂見物。
  閏10月  五重相伝を受ける。
  11月
伊勢の今井田家の養子となる。
 
寛延2(1749) 20歳
spacer 9月22日 華丹改め華風と号す。
 
寛延3(1750) 21歳
spacer 12月  今井田家を離縁となる。
 
宝暦元(1751) 22歳
spacer 2月28日 義兄定治没(40歳)。
  3月  江戸下向。
  7月13日 後始末を終え帰路、富士山に登る。
 
宝暦2(1752) 23歳
spacer 正月  外祖母の御忌参詣に同道し上京。
  3月5日 医学修行のため上京。『在京日記』起筆。
  3月16日 堀景山に入門、寄宿し儒学を学ぶ。姓を本居に改める。
◇この頃、契沖の『百人一首改観抄』を読み、古典研究への眼を開かれる。
 
宝暦3(1753)  24歳
spacer

3月から
  4月まで

帰省。
  7月22日 堀元厚に入門。医学を学ぶ。
  9月9日 通称、弥四郎を健蔵と改める。
 
宝暦4(1754) 25歳
spacer 5月1日 武川幸順に入門。医学を学ぶ。
  9月  『日本書紀』購入。
  10月10日
武川幸順宅に寄宿。
 
宝暦5(1755)  26歳
spacer 3月3日 稚髪し、名を宣長、号を春庵と名乗り医者となる。
 
宝暦6 (1756) 27歳
spacer 2月30日 友人・岩崎栄令肥前に帰国。「送藤文輿還肥序」を贈る。大酒で母に叱責される(7月16日付書簡)。
  4月19日 帰省。途中、友人草深宅に寄り21日、松坂着。
  5月10日
再び松坂出立し上京する。
  7月26日
師・堀景山より譲られた『日本書紀』の校合終わる。
  7月
『先代旧事本紀』、『古事記』購入。
  11月
『古今余材抄』10冊書写終わる(宝暦4年3月2日第1冊書写 )。
 
宝暦7(1757)  28歳
spacer 3月頃  上柳敬基宛書簡で「好信楽」で自らの学問方向を説く。
  9月19日 堀景山没(70歳)。
  10月6日 松坂帰宅。医者を開業する。
◇この頃、賀茂真淵の『冠辞考』を読み影響をうける。同書は、6月に書かれ、すぐに印刷され、すぐに松坂にもたらされたことになる。
 
宝暦8(1758) 29歳
spacer 2月11日 嶺松院歌会に初出詠。
  5月3日 『安波礼弁』起稿。
夏、『源氏物語』講釈開始。
◇松坂で40年継続する古典講釈の始まり。
 
宝暦9(1759) 30歳
spacer 3月4日 『伊勢物語』講釈開講。
  12月12日 『伊勢物語』講釈終業。この年、『伊勢物語』関係書の購求書写 多し。この頃、『排蘆小船』執筆か。
 
宝暦10(1760) 31歳
spacer 2月20日 菅相寺歌会初会。但し8月で終わる。
  9月14日 村田みかと結婚。
  12月18日
離婚。
  ※9月2日 徳川家治10代将軍となる。
 
宝暦11(1761) 32歳  
spacer 3月  『阿毎莵知弁』執筆。
 
宝暦12(1762) 33歳
spacer 1月17日 草深たみ(22歳)と結婚。たみ、改名して勝となる。
  2月  自選歌集『石上集』巻1成る。
◇「石上」号の使用の一事からも古代への憧憬の念が深まったことが窺える。
※『日本書紀通証』(谷川士清著)刊。
 
宝暦13(1763) 34歳
spacer 2月3日 長男春庭誕生。
  5月25日 賀茂真淵と対面(松坂の一夜)。
  6月7日 『紫文要領』執筆。
またこの頃、『石上私淑言』執筆。賀茂真淵に『万葉集問目』を送り指導を仰ぐ。
◇もののあわれを知ることを中心とする文学論を展開しながらも、次第に古代の研究へと移行していく。
  ※10月4日 荒木田久老等、松坂郊外射和の富山家所蔵の『元暦校本万葉集』を調査する。この頃、曽我蕭白松坂来訪。
 
明和元(1764) 35歳
spacer 1月12日 『古事記』を、同月『先代旧事本紀』を共に度会延佳本で校合。
  1月18日 『日本書紀』の講釈を開始。
  1月21日 遍照寺歌会初会開催。同月、真淵に入門する。
◇『古事記』研究に本格的に着手。この頃、既に「鈴屋衣」着用する(名称使用は遙かに遅れる)。
 
明和2(1765) 36歳
spacer 8月4日 津の谷川士清に手紙を送る。
  10月 真淵の書き入れた『古事記』の借覧を願うが、まず万葉からと断られる。
 
明和3(1766) 37歳
spacer 7月1日 第1回『源氏物語』講釈全巻終業(開始、宝暦8年夏)。
  9月 真淵に呈した『万葉集重載歌及巻の次第』で叱責される。
 
明和4(1767) 38歳
spacer 1月14日 次男春村誕生。
  5月9日 『古事記伝』巻2(版本巻3)草稿本脱稿。同年、『上代系図』、『古事記雑考』書き終えるか。
 
明和5(1768)  39歳
spacer 1月1日 母・恵勝大姉没(64歳)。
  4月  『古事記上巻真淵訓』(『仮字古事記』)書写。
  6月 『万葉集問目』再問、既に終わる。
同年、『草庵集玉箒』前編刊行(刊記は5月)。
 
明和6(1769) 40歳
spacer 4月26日 『講後談』起筆。
同月、真淵『古事記』下巻借用。
  5月6日 賀茂真淵、書簡で宣長の祝詞宣命への着眼を誉める。
  10月30日 真淵没(74歳)。知らせは12月4日着。
  ※この年の松坂町人口9,078人、医者35名。
 
明和7(1770) 41歳
spacer 1月12日 長女飛騨誕生。
 
明和8(1771) 42歳
spacer 10月9日 『直霊』脱稿。同月、『てにをは紐鏡』刊。
spacer ◇この頃から宣長の思想に変化が見える。神の存在を確信したことによるか。
※池大雅、松坂訪問。この年、おかげ参り。
 
明和9(1772) 43歳
spacer 1月23日 『二十一代集』会読終わる(開始、明和元年5月26日)。
  3月5日 吉野、飛鳥旅行に友人5人等と出立。
14日帰着(『菅笠日記』)。
  ※田沼意次老中となる。
 
安永2(1773) 44歳
spacer 1月2日 次女美濃誕生。
  2月 『天祖都城弁弁』既に成る。四十四歳自画自賛像を描く。この年までの入門者は43名。
 
安永3(1774) 45歳
spacer 1月18日 『史記』講釈開始。
  2月9日 大阿坂村を訪い先祖の墓に詣る。
  10月10日 第2回『源氏物語』講釈全巻終業(開始、明和3年7月26日)。
  10月16日 『直霊』講釈開始、11月30日終わる。
  この年、『授業門人姓名録』起筆。
◇この年の講釈では、『史記』という漢籍、また自著『直霊』講釈が目を引く。
※『解体新書』刊行。
 
安永4(1775) 46歳
spacer 1月10日 『字音仮字用格』稿既に成る。
  9月19日 賀茂真淵著『にひまなび』春庭(13歳)書写。
◇春庭の本格的学問への着手。
 

閏12月

西隣の家を買う。
 

※『大神宮儀式解』(荒木田経雅著)の稿成る。

 
安永5(1776) 47歳
spacer 1月15日 3女能登誕生。
同月『字音仮字用格』刊(刊記)。
※『雨月物語』(上田秋成著)刊行。
  ※8月24日 平田篤胤誕生。
  ※10月8日
須賀直見(35歳)没。
  ※10月10日
谷川士清(68歳)没。
※平賀源内エレキテルの復元に成功する。
 
安永6(1777) 48歳
spacer 3月 飯田百頃宛書簡で『古事記伝』の進捗状況と今後の見通 しを語る。
  7月20日 田中道麿来訪。初めて対面する。
  12月  『馭戎慨言』草稿既に成る。『答問録』起筆。
  ※6月10日 加藤宇万伎没。
 
安永7(1778) 49歳
spacer 閏7月 『古事記伝』巻17浄書。(『古事記』上巻の注釈終わる。)
 
安永8(1779) 50歳
spacer 2月 『万葉古風格』(『詞の玉緒』巻7「古風の部」)、『国歌八論排斥非再評の評』既に成る。
  11月5日 『万葉集玉の小琴』脱稿。
  ※岡山正興、三井高蔭(21歳)入門。殿村安守誕生。
 塙保己一、『群書類従』編纂に着手。
 
安永9(1780) 51歳
spacer 1月  田中道麿再び来訪、門人となる。
  3月頃から 「桜」の花押使用。
  4月 市川鶴鳴の『まがのひれ』成る。
  11月22日 『葛花』を書き『まがのひれ』を論難する。
  ※3月29日 武川幸順没(56歳)。
 
天明元(1781) 52歳
spacer 3月19日 付荒木田尚賢宛書簡で「古事記伝中巻、ようよう近頃清書にかかり申し候、扨々はかどり不申、不堪嘆息候」と執筆のはかどらないことを嘆く。
  11月9日 真淵十三回忌開催(『手向草』)。
  ◇この年、医療収入96両、記録に残る最高額。
 
天明2(1782) 53歳 
spacer 3月2日 伊勢前山の花見。同行は門人戒言、稲懸茂穂、三井高蔭、春庭等。荒木田久老等が迎える。
  7月15日
   頃から
瘧。その後も体調優れず、天明4年まで講釈など中断する。
  8月18日 『天文図説』成る(春庭清書)。
  9月11日 『真暦考』脱稿。
  12月  書斎鈴屋竣工
  ※門人・荒木田尚賢らにより伊勢の林崎文庫復興。西日本大凶作。
 
天明3(1783) 54歳
spacer 2月  『古事記』を村井敬義蔵の古写本で校合。
  3月9日 新書斎「鈴屋」で歌会。
  ※7月7日 浅間山大噴火。諸国で飢饉。
 
天明4(1784) 55歳
spacer 6月20日 次男春村、津の小西家養子となる。
  6月29日 『漢字三音考』脱稿。
  ※2月23日 志賀島で金印発見。4月9日 小篠敏来訪。
 10月4日 田中道麿没(61歳)。飢饉。特に奥州甚だし。
 
天明5(1785) 56歳
spacer 5月  『詞の玉緒』刊(刊記)。
  12月  『鉗狂人』脱稿。本書が引き金となり上田秋成と激しい論争が始まる(『呵刈葭』)。
  ◇この年、『玉くしげ別巻』稿成るか。同年の入門者に、松坂の服部中庸、名古屋の横井千秋、遠州の栗田土満がいる。この3人は『古事記伝』に深く関わることになる。服部は『三大考』(『古事記伝』付録)を書き、宣長の古道論を展開し、横井は『古事記伝』の刊行の立役者である。栗田は自分でも写し、版下書きを手伝った。年の暮れより『古事記伝』出版計画が具体化する。
 
天明6(1786) 57歳
spacer 10月14日 『古事記伝』巻2版下を名古屋の版木師に送る。
  10月23日 『古事記伝』巻19手見せ彫り柏屋から届く。
  11月3日 長女飛騨、草深家に嫁ぐ。
  ◇この年より春庭『古事記伝』版下書き始める。
 同年、『鉗狂人上田秋成評の弁』稿成るか。
※夏、小篠敏来訪。この年、帆足長秋来訪、『直毘霊』書写。
 
天明7(1787) 58歳
spacer 2月4日 『玉矛百首』刊本出来、届く。
  4月14日 真福寺本『古事記』で校合。
  10月30日 『国号考』刊。
  12月 『秘本玉くしげ』稿成る。
『秘本玉くしげ』、『玉くしげ別巻』を紀州藩に差し出す。
  ※4月15日 徳川家斉12代将軍となる。
 
天明8(1788) 59歳
spacer 5月5日 『宣命抄』抄出。
  5月10日 第3回『源氏物語』講釈全巻終業(開始、安永4年1月26日)。
  ※1月30日京都大火。内裏など焼失。 7月1日荒木田尚賢没(50歳)。
 
寛政元(1789) 60歳
spacer 2月3日 宣長六十賀。
  3月  名古屋行き。春庭、大平同行。目的は講義と、『古事記伝』刊行に尽力している横井、鈴木真実らと対面 。版木師・植松有信入門。帰路、鈴鹿山辺の御井、能煩野等探索。
  5月29日 『神代正語』稿成る。
  ※徳川治宝、紀州徳川家10代藩主となる。
 
寛政2(1790) 61歳
spacer 4月14日 江戸の安田躬弦来訪。
  8月  六十一歳自画自賛像を描く。
  9月 『古事記伝』初帙(巻1〜5)刊行。春庭らと上京。天皇の新内裏への行列を拝見する。
  ※5月、寛政異学の禁。
 

寛政3(1791) 62歳

spacer 春頃  春庭(29歳)眼病にかかる。
  2月9日 次女美濃、長井家に嫁ぐ。
『新古今美濃の家つと』『玉あられ』成る。
  5月 『三大考』(服部中庸著)成る。これ以後も訂正を加え、1797年宣長の跋文を添え『古事記伝』付録として刊行。
  8月10日 春庭、眼病治療のため尾張国馬嶋明眼院へ行く。
  11月10日 春庭帰宅。
 
寛政4(1792) 63歳
spacer 閏2月22日 『古事記伝』第2帙(巻6〜11)刊行。
  3月5日 名古屋行き。
  3月27日 帰宅。春庭も同行し、明眼院で再治療し4月23日帰宅。
  5月8日 『玉あられ』刊行。
  12月3日 紀州侯に仕官(五人扶持)。
  ※加藤千蔭『万葉集』の注釈を志し、宣長に協力を依頼する。
 
寛政5(1793)  64歳
spacer 1月18日 『玉勝間』起稿。
  1月24日 『古事記伝』巻34脱稿。『古事記』中巻部分の注が完成。
  3月10日 上京。大坂、名古屋を経て4月29日帰宅。各所で講義。京都では芝山持豊卿に対面 する。
  9月中旬 『古今集遠鏡』稿本既に成る。『玉勝間』起稿。
 
寛政6(1794)  65歳
spacer 3月29日 名古屋行き。同所で講釈をし4月26日帰宅。名古屋門人・鈴木朖も同道するか。
  5月17日 遍照寺歌会。鈴木朖出席し、会の様子を漢文で記録する。
  10月10日 和歌山に出立。
  11月3日 和歌山城で最初の御前講義。
  閏11月12日 吹上御殿で最初の清信院への御前講義。
  閏11月13日 十人扶持に加増され御針医格となる。
  12月4日 帰宅。
  ◇春庭失明。
※殿村安守入門。
 
寛政7(1795)  66歳
spacer 2月16日 字を春庵から中衛に改める。
  4月23日 春庭針医の修行のため切畑経由で京都に行く。
  5月  石見浜田城主・松平康定侯より駅鈴と歌を頂く。
  8月13日 康定侯に対面する。
  8月21日 『菅笠日記』刊。
 
寛政8(1796)  67歳
spacer 4月6日 『大祓詞後釈』刊。
  4月 『馭戎慨言』刊。
  7月10日 桑名の宿で松平康定に謁す。
  7月 『出雲国造神寿後釈』刊。
  9月18日 松平康定侯より依頼された『源氏物語玉の小櫛』の清書に着手。
 
寛政9(1797)  68歳
spacer 3月30日 熊本藩校時習館第三代教授高本順、長瀬真幸等を従え来訪。
  3月 『美濃の家づと折添』刊(刊記)。
  5月 『古事記伝』第3帙(巻13〜17)、『古今集遠鏡』、『天祖都城弁弁』刊。
  8月6日 春庭、京都より帰る。
  12月16日 春庭(35歳)、壱岐(17歳)と結婚。
 
寛政10(1798) 69歳
  『伊勢二宮瞭瞭弁』(『伊勢二宮さき竹の弁』初稿)稿成る。
  6月13日 『古事記伝』44巻脱稿。全巻終業。
  7月2日 『家のむかし物語』清書。
  9月13日 『古事記伝』終業慶賀歌会挙行。
  10月13日 『うひ山ふみ』稿成る。
  12月10日 『神代紀髻華山蔭』清書終わる。
 
寛政11(1799) 70歳
  1月21日 和歌山に出立。
  2月 稲懸大平(44歳)を養子とする。
  2月25日 吉野水分神社参詣。
  2月28日 帰宅。
  3月16日 七十賀を三井の別宅畑屋敷で開く。『訂正古訓古事記』の序を書く。
  5月 『源氏物語玉の小櫛』刊行。
 
寛政12(1800) 71歳
  1月 文机を大平に譲る。
  7月 『遺言書』執筆。
  9月17日 山室山に行き墓地の場所を定める。
  10月18日 『枕の山』稿成る。
  11月20日 和歌山に行く。
 
享和元(1801) 72歳
  1月3日 和歌山城内でお流れ頂戴する。
  3月1日 和歌山より帰郷。
  3月28日 講釈のため上京 
  5月23日 妹・宮崎俊没(62歳)。
  6月12日 帰宅。
  6月下旬 九州肥後国門人帆足長秋、娘の京松坂を訪い『古事記伝』書写 に掛かる。
  8月16日 『鈴屋新撰名目目録』起筆。
  9月頃 殿村安守、鴨川井特に依頼して宣長の姿を描かせる。
  9月18日 発病。
  9月29日 早朝没。この時の門人数488名。
※門人横井千秋、小篠敏没。宣長没した直後に伴信友の入門願いが届き、没後の門人となる。

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